忠勇義烈士伝 真理提唱編 第二章 職業
こんばんは。サインバルタです。
今日は《真理》を説きます。
今日では不況や機械による職業の剥奪など、職業に就く、或いは営むにあたっても《障害》はさぞ多いことでしょう。
しかし❗️
私はこの《障害》を簡単に超越できる、その様な職業を《天職》として授かっているのです。
私はここへと終着する為に今までの人生という《軌跡》を描いてきたと言っても過言ではありません。
それを自覚した私は、大学で履修していた教職課程を総て《無》へと還元しました。(これはガチです。)
その天職とは何か❓
そう、《無職》です。
私の志す《無職》は、常に物質的な利益を求め、そこで満足する他の卑小な職業とは""格""が違います。
「時は金なり(Time is money.)」という有名な文があります。
時間とは金と同様に重要だから無駄にしてはならない、という理解が一般的です。
しかし、この理解では《本質》へと至るには不十分です。
「時」とは、言わば《資産》なのです。それも金などとは比較にならないほど崇高な…。
その「時」という資産を、金という即物的な利益の為に浪費するなど、何と莫迦らしいことだろう‼️
人間が犯す愚かさとは、総じて滅びゆく存在に対する愛着に起因します。その一つが金でしょう。
金への愛着が引き起こした愚行は歴史にも現在にも数多に見られます。
やはり、私達は"永劫無限"たる《観念》を愛さなければならないのです。
社会の歯車とは、その《境地》へと至っていない愚者に課せられる奴隷制度なのです。
《無職》とは、金を遥かに優越する「時」という資産を最も獲得することができる、まさに至高の職業と言えるでしょう。
これによって築かれた巨大な《富》は、何の為に運用されて然るべきか、貴殿らならば理解できている筈です。
そう、《真理》の追求です。
《真実の愛》と同様、《真理》とは常に形而上に存在しています。
にも拘らず、物質的な利益を追求する愚者が大半を占めるこの現状は、私にとっては非常に嘆かわしいことです。
低俗な資産の欠乏によって《肉》に飢え、"死"に至ろうと私は構わない。
肉体における死は通過点に過ぎないのだから…。
てか早くオレの口座に毎月1000万振り込んでくれる狂信的信者が欲しすぎる、ガチで‼️