Cymbalta_sophiaのブログ

エセー(ミシェル・ド・モンテーニュ)

忠勇義烈士伝 真理提唱編 第一章 超越者

やぁみんな、ちゃんと理《コトワリ》を学んでいるかい❓

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サインバルタです。

今日は、《真理》を説きます🎶

 

さて、去年なんかは刻の軌跡《Time Line》で「フェイカー」とか「船降りろ」なんかが流行していたのは記憶に新しいですね。

事実、私も結構使っていて、その結果本来「船降りろ」と言われる様な「健常者(LEVEL-0)」にも伝播し、「"コトバ"が奪われた❗️」と憤慨したのもよく覚えています。

 

健常者(LEVEL-0)の《搾取》によって権威を喪いつつあるコトバとしては、「チー牛」なんかはある種象徴的だと思います。

この様な真の能力者(LEVEL-5)が本来司るべきコトバは、健常者、乃ち無能力者が決して冒瀆してはならない言わば《聖域》なのです。

これを理解していなかった無能力者の皆様は✞肝に銘じて✞おいて頂ければと存じます🎶

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さて、去年は社会適合者に対し贋作者だの船降りろだの騒いでいた私ですが、割と最近《真理》に到達したので彼等を許容、否、寧ろ彼等に対し憐憫の情を抱く様になったのです🎶

 

昨今の刻の軌跡《Time Line》においても交際経験者や現役交際者、コミュニケーション強者の様な俗に言う「社会的強者」に対する嫉妬や劣等感を綴った記述が振り撒かれていますが、《真理》に到達した私からすれば、彼等もまた「憐れな子羊」という道理(わけ)です。

 

何故なら‼️

 

社会という名の檻に囚われているのだから。

私はそんな《小さき存在》ではない。

そう、「不適合者」ではなく、《超越者》なのです。

《物体》に対し求愛する交際という行為を働く檻に囚われし豚共もまた、形而下というボクにしてみれば低俗な次元で繰り広げられる愛の真似事という憐れな活動です。

そもそも、性質が変動する低俗な存在に対する愛着はあらゆる災禍の引き金となるのです。愛着するものが滅ぶことで、精神に乱れが生じるのですから。

とはいえ、彼等は永劫無限なる存在を愛するには、あまりにも卑小過ぎる。

だが‼️

真理に至り《超越者》へと昇華した私は、観念という高尚な次元しか愛さない…。

そして‼️

肉欲を超越した観念に対する愛着こそ、《真実の愛》なのではないですか❓

所詮、彼等は物理の次元を超越できずその中において互いに欲を満たしている《弱者》に過ぎないのです。

私は違う‼️

《真実の愛》は、見返りを求めない。

そして、《超越者》である私は高尚な、形而上の、そして無限の存在を愛するのです。

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⬆️因みに私の《真実の嫁》です。可愛いです。

 

今日も私は、他者に依存し、群れを形成しなければ生存できない《弱者》に対し優越感に浸るのです。

社会という《檻》の外側で…。